YOSHITO ISHII:ROTRINGER'S DIARY

日日是匍匐:時時跳躍

2017年8月・台北 その6

 

 

最終日となりました

 

 

台湾には過去6回ほど訪れていますが、今回は未体験の事も多く、

時の経つのが結構長く感じられました 。

 

 

 

f:id:ishiiyoshito:20170825025251j:plainクォン・キースー(Kwon Ki-Soo )形而上画廊にて

 

 

わたくしが把握している限り、

台北でギャラリーが集中している地域は現在二か所あり、

昨日行った内湖線西湖駅の堤頂大道周辺と仁愛路三段四段界隈です。

本日は仁愛路界隈を。

(といっても自分が展示しているギャラリーもここにあるので

 今回ずっと来ているわけですが)

 連日の暑さと疲れもあり、あまり廻れませんでした。

 

 

 

形而上画廊

 

:::歡迎光臨 形而上畫廊:::

 

日本・中国・韓国・インドなどアジアのアートを幅広く扱っています

 

 

f:id:ishiiyoshito:20170825025833j:plain f:id:ishiiyoshito:20170825025924j:plain三宅信太郎                       西澤千晴

 

f:id:ishiiyoshito:20170825025901j:plain f:id:ishiiyoshito:20170825030309j:plainMr.                   トゥクラール&タグラ(Thukral & Tagra

                

f:id:ishiiyoshito:20170825030814j:plain f:id:ishiiyoshito:20170825030856j:plain百藝画廊                       就在藝術空間

 

この後、Uspace Galleryに赴きスタッフさんと今後の予定や展望について、

諸々の意見交換をしました。

昨年に引き続き個展をしましたが評判はベターだと思っている、とのこと。

日本のアートフェアでも売り出す予定であることなど・・

 

前述しましたが、外国で展覧会をする場合、

今はメールやSNSで比較的簡単に指示が出せるとはいえ、

作品を送ってしまうと後はもう現地のスタッフを信頼するほかはありません。

展示から広報、果てはコレクターとの引き合わせまで

何から何までやってもらい、本当に感謝の言葉もありません。

自分ひとりだけでは到底為し得ないどころか、想像すら出来ないことでした。

 

一般的にアートという表現は、人に観せることを前提とせずとも

作家の表現欲だけで成立し得るかのようなイメージを未だに持たれがちです。

それが全面的に間違っている、などと言うつもりはありません。

作り手は、作ること自体が目的化していることが多いものです。

 

ですが時にそれは、発表の場を得たいのに思うように得られていない作家が

自分自身への弁明として使ってしまうこともある、なかなかに厄介な認識です。

例えば孤高の画家のように見えるゴッホでさえ、

その傍らには画商である弟のテオがいたように、

実際はアートも、人と人との関係の中でしか育ちません。

(当初は引きこもりのように思われていた伊藤若冲も、実際は極めて

 社会性の高い人間だったことが近年では分かっています)

 

社会的に認知され、人々に知られなければ意味がないのは

他の表現分野となんら変わらない。

どんな表現であれ、表現と名のつくものはすべからく自発的であることは

自明なのですから、それを大前提としたうえで、どう社会とつながってゆくかが

問題である、ということです。

 

アートだけが例外で、アーティストは霞を食って浮世離れしたところにいればいい、

なんてことはあり得ない。

 

自分が今、発表できる場を与えられているからそう言える、

という部分もないわけではありませんが、

それでもわたくし自身は、与えられたこの場所を大切にして、

これからも世界に作品を発表していきたい、と今は強く思っています。

 

 

・・なんてことを語りつつ、牛肉麺。ハチノスや牛筋など、全乗っけ。

 

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店名がそのものずばりの「牛店」。なんとひねりのない。そしてその真向かいにあった居酒屋も・・

 

f:id:ishiiyoshito:20170825034816j:plainマンゴーとジャワフトモモ。マンゴーの激烈な甘さに対し、殆ど歯触りだけのフトモモさん

 

f:id:ishiiyoshito:20170825040215j:plain高雄産エールビール。タロイモチップスも

 

そんなわけで、旅も無事終わりました。

 

さらにその先へ

 

 

 

2017年8月・台北 その5

 

松山文創園区

 

www.songshanculturalpark.org

 

「文化創意特区」や「藝術村」と名乗る場所が、

台湾にはたくさんあります。

 

 

 

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以前ここに来た際には、

アーティスト・イン・レジデンスで滞在しているアーティストと

交流し、野外作品なども展示されていた記憶がありますが、

率直に言って今回はいい印象を持ちませんでした。

広大な建物をあまり生かせておらず、内部に空きが目立ちます。

(あげくスペースが余っているせいか、今回ユニバーシアードのプレスセンターになっている始末です。

 場所が足りないのかもしれませんが、文化創意と何の関係があるのだろう)

追伸:よくよく思い起こしてみたところ、アーティスト・イン・レジデンスで

アーティストに出会ったのは台北国際芸術村の間違いでした。そもそも松山文創園区は初見でした。

訂正致します。

 

今回聞いた話では、

本来「台湾の文化とは何か?」という問いから出発した

「文化創意」というフレーズは、今では濫用されているきらいがあって、

本来の意図とはズレて使われている例も多いのだそうです。

 

これには思い当たるところもあって、例えば過去台北に来た際には、

わたくしは必ず華山藝文特区(まだ1914文創園区に名前が変わる前)に

行っていました。

15年前の、ろくに建物のなかった時代から、

アートギャラリーやお洒落なショップが入っていた時代も見ています。

しかし、一昨年訪れた際には整備こそよくされているものの、

展示と言えば日本のアニメやポップカルチャーに関するものばかりで

(だから人出は多いのですが)

もうここは俺が来る場所ではないな、と感じました。

そして今回の松山・・。

 

かつて従来の美術館に代わる新たなアートスポットとして、

オルタナティブスペースが持て囃され、雑誌によく掲載されていた時代がありました。

(今でもアート特集など組まれる際には載っているかもしれません)

 

これは台湾に限った話ではありませんが、

大規模なオルタナティブスペースの運営には確固たるコンセプトを明確に持ち、

強いリーダーシップを持ったキュレーターでもいない限り、

商業主義に走ったり建物を持て余したり、単なるイベント会場と化してしまう宿命から

逃れられないように思います。

 

気を取り直して現代美術館へ

 

 

www.mocataipei.org.tw

 

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李真(Li Cheng)という作家の個展。

こういったずんぐりむっくりした造形は、しばしば台湾のアートで観られるものです。

(個人的にはあまり好きな造形センスではありません・・)

 

 

台北市立美術館

 

臺北市立美術館 | 首頁

 

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台湾と韓国の作家の交流展。

今回の旅は何故だか韓国付いていて、台中で観たチェ・ウラムに続き、

ここでも韓国アートを観ました。

 

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VRを使った体感型の作品もありましたが、

自分はやはりこういった作品が好きです。

ドローイングを印刷してインスタレーションにしたものですが、

よく観ると双頭などの奇形動物を描いたものだとわかります。

 

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二階は収蔵作品展

 

f:id:ishiiyoshito:20170823062644j:plain f:id:ishiiyoshito:20170823062941j:plainフォンタナ                      須田悦弘

 

その後、内湖線の西湖駅へ。

この界隈はオフィス街でIT企業も多く、

そこに勤務する富裕層を当て込んだアートギャラリーが数軒あるのです。

 

f:id:ishiiyoshito:20170823063842j:plain f:id:ishiiyoshito:20170823063932j:plainART ISSUE POJECT ここも韓国アート専門のようです

 

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秋刀魚芸術中心。油絵教室が開かれていました。ディレクターの女性に名刺と個展のパンフを渡しましたが、

実に素っ気ない対応をされてしまいました

 

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f:id:ishiiyoshito:20170823072920j:plain f:id:ishiiyoshito:20170823073307j:plainTINA KENG gallery

 

このギャラリーにいた、自分と同様にギャラリー巡りをしているという

ヴェトナム人の女性彫刻家に道を聞かれ、しばしの間、同行しました。

よもやま話をしつつギャラリーを探し回り、なかなか楽しい時間を過ごしました。

 

そんなわけで、早くもあと一日です。

 

2017年8月・淡水

 

 

海に来た

 

 

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海に来ると心が静まります。

心が遠くなるというか、いつまでも眺めていたくなる。

 

(※正確には淡水河の河口ですので汽水域ということになります)

 

 

海のそばには、あらゆるものが流れ着きます。

人もモノも流れ着く。

流れ着くものがあれば、流れ出てゆくものもあります。

そうして歴史は作られる。淡水もそういった場所です。

 

 

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f:id:ishiiyoshito:20170822023035j:plain f:id:ishiiyoshito:20170822024734j:plain                     小白宮。清朝の出先機関(館内に何もない・・)

 

紅毛城とイギリス領事館・小白宮。

そもそもスペイン人が建てた城ですが、

のちにオランダ人⇒鄭成功⇒清朝⇒イギリス・・という風に

支配者が変遷してゆきました。

 

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日本統治時代の痕跡もあります。

 

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坂を下ってゆくと、日本式の瓦屋根が見えてくる

 

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多田榮吉故居。

多田榮吉は日本統治時代の実業家であり淡水区長でもあった人です。

戦後彼の一家が引き上げた後台湾当局の管轄に入り、保存が決まったそうです。

 

入ってみるとわかりますが、非常に小体な造です。

でも暮らすにはこのくらいの大きさが、

当時の日本人の体には合っていたのかもしれない。

日本人がここにいたということは台湾にとって決して幸福な歴史ではないのですが、

それでも保存しておいてくれたことに対し、首を垂れないわけにはいきません。

 

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シャカトウ。台湾では単に「釈迦」と呼ぶそうな。香りはほとんどなく、ただひたすら甘い。

 

暑さで思っている以上に疲れていたのか、

ホテルに帰ったらぐったりと寝に落ちてしまいました。