YOSHITO ISHII:ROTRINGER'S DIARY

日日是匍匐:時時跳躍

復古大和絵と冷泉為恭

 

復古大和絵関係の図録を購入

 

 

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復古大和絵、は幕末の京都で勤皇運動の高まりに呼応するように

かつての王朝時代の大和絵を復興させようと

出てきた絵画様式です。個々の絵師の関係は派閥というより

緩やかな師弟関係程度のものだったようです。

何人か絵師がいますが特にこの冷泉為恭は有名で中心的な存在です。

 

冷泉為恭という人は京狩野の傍流に生まれつつも

狩野派の画風には行かず、

若くして絵巻物を模写しまくり有職故実に精通し

自宅も公家風にし、普段から平安の装束に身を包んでいたという人物。

(「冷泉」という姓も公家でもないのに勝手に名乗っていたそうな)

かなりナショナリスティックな思想の持主だったようで

(日本絵画における漢画=中国絵画の影響を全否定している)

ちょっと山師っぽい印象の人です。

江戸狩野に比べて冷や飯を食わされていた彼の出自である京狩野を

大和絵を復活させることによって盛り立てようというところもあったのかな。

 

印象的なのがほとんどの作品に使われている「青」。

藍か群青か分かりませんが大和絵特有の雲(すやり霞)や衣など、

暗い青から明るい青まで多用されています。

 

思想的にも勤皇家だったそうですが

絵巻物観たさに京都所司代に出入りしたため

疑念を持たれ、長州藩士に斬殺されてしまったそうです。

 

幕末という時代は日本美術においても

カオスな時代です。

復古大和絵が京都で起こった一方で

江戸では月岡芳年が無残絵や武者絵で名を馳せ

狩野一信は西洋的な陰影表現を我流に取り入れた五百羅漢を描き

河鍋暁斎が縦横無尽に活躍し狩野芳崖が新しい「日本画」の先鞭をつけ

高橋由一が油彩に挑み・・

そんな混沌の幕末にひと時咲いた復古大和絵です。