蘇小松(苏小松)
自筆のサイン入りでした。根源師傳淑心、かな。
1964年生まれ、生粋の上海人。
新海派(新海上画派)の領袖、などと紹介されています。
清末に新興都市の上海を中心に出てきた芸術潮流を海上画派といい、
その現代版が新海派、ということらしい。
大学卒業後美術出版社で働き、そこで多くの作品を観て観察眼を鍛えたそうな。
彼は宋元絵画至上主義らしく、自分の文章の中で
明清以降の中国絵画は記号化・形式主義に陥り、衰退した、とまで言う。
音楽を聴くのに左右のステレオが必要なように、
工筆の技術と文人の心の両立こそが大切、とも。
以前、日本のあるブログで「文心工筆」という言葉を見つけましたが
彼が理想としているのはまさにこの文心工筆でしょう。
彼の世代は文革の記憶がまだうっすらある世代で、
故に却って伝統文化がいつ消えるか分からないという
怖れも根底にはあるのかなと思います
(この作品集の文字も繁体字で統一されていました)。
これは自分の制作に置き換えてみても、極めて重要な問いです。
文心ー中国絵画について書かれた文章を自動翻訳して読んでいると頻出する、
「精神」や「文人の心」といった概念。
彼がどういうニュアンスで「文心」「文人」という言葉を
使っているのかまではわかりません。
文心=言葉・概念にとらえ直して考えてみる。
確かに作家として、自作を語るための言葉、というか哲学は必要ですが、
それはあくまで制作する過程で培われた「作家の言葉」でありさえすればよい、
と自分は考えます。
あくまでも作品が主で言葉や思想は従です。
こんにち、工筆画の素晴らしい技巧を狭苦しい文人的世界に
押し込む必要はないのですから(勿論伝統的な画題も好きではありますが)。
上海の画家としては、南方の繊細さに留まることを避け
北方の豪放さも取り入れるべきだ、とも。
彼の作風は一言でいえば端正と調和。外連味は皆無。
第一印象で范寛の山を連想しました。そして垂直性の強い画面。
思うに彼の頭の中には中国絵画の膨大なアーカイブがあって、
場合に応じてそれを取り出し組み合わせている感じが素人目にもわかります。
宋代を感じさせる抑制のきいた画風です。端正過ぎて隙がない。
中国絵画をざっくり観ていて思うのは、
多くの、特に工筆画系の作家たちはこれ見よがしに奇を衒おうなどとは
考えていなくて、絶えずバランスを気にかけている。
ただ元々のスケール感が大きくまた仕事のクオリティも高く、
特に日本の感覚からすると結果的に過剰に見えてしまう、
というところだと思います。
嗚呼しかし、帰るべき古典を持っている人が羨ましい。
古典、というか伝統は時に抑圧ともなりますが、
古典があるという事は、自分が道に迷ったときに、
いつでも立ち返る場所がある、ということ。