YOSHITO ISHII:ROTRINGER'S DIARY

日日是匍匐:時時跳躍

桐生市相生町イイズカ薬局前野菜売りのおじさんの話


高橋源一郎さんのゆうべの「小説ラジオ」
”忘れられない言葉”を見ていてちょっと啓発され、
わたくしも思い出話を無性に書きたくなった。


 
わたくしの母方の実家というのが群馬の桐生市にありまして、
半月に一回くらいの頻度で泊まりに行っておりました。

実家から歩いて五分くらいのところに当時イイズカ薬局というお店があって、
(要するにスギ薬局とかマツキヨとかと同じ系統のお店ね)
そこの店の前で野菜や果物を売っているおじさんがいたんです。
祖母はよくわたくしを連れてその店に行き、
ついでにそのおっちゃんの所で買い物がてら、よく話し込んでおりました。
祖母はもともと凄く人懐こく、心の垣根をまるで持たないタイプの人だったので、
そのおじさんのことを親しげに「○○ちゃん」と呼び、
たまのお喋りを楽しんでいる様でした。
その八百屋さん風の札の付いた野球帽をかぶったおじさんもまた、
勿論商売柄という事もあったのでしょうが非常に愛想が良く、
幼かったわたくしもおまけでみかんのひとつふたつ、
よくもらっておりました。

あるときそのイイズカが別の場所へ移転する事になり、
その近所の店舗はいつごろからか、
そっくりがらんどうになってしまいました。

ある日祖母に、
移転して新装開店したてのピッカピカのイイズカに
連れて行ってもらった時、
当然その新しいお店にもいるだろうと思っていたそのおじさんは、


もうどこにもおりませんでした。
祖母に「○○ちゃん、どこいったの」と問いますと、
あれだけ親しげにおしゃべりをしていた間柄だったにもかかわらず
「どこにいったんだか、知らない」とそっけなく答えただけでした。


その祖母もすでにボケてしまい、
わたくしの記憶からもそのおじさんの顔はおろか
「○○ちゃん」の○○に入る名前さえ失われてしまったのですが、
確かにあのとき、そこにそういう愛想の良いおじさんがいて、
愛想の良い祖母とにぎやかにおしゃべりをして、
子供心にも楽しく和やかな時間が流れていた、ということだけは
今でもはっきりと、覚えているのです。

そういう取り留めのないお話であります。