YOSHITO ISHII:ROTRINGER'S DIARY

日日是匍匐:時時跳躍

東京 ART TOUR in SPRING 2019 2日目

 

イケムラレイコ 土と星展@新美術館。

www.nact.jp

f:id:ishiiyoshito:20190227210814j:plain

f:id:ishiiyoshito:20190227210903j:plain

f:id:ishiiyoshito:20190227210927j:plain

 

わたくしにとっては極めて示唆的な内容でした。風通しが良かった。

ミニマルな具象ともいうべき、ギリギリに削ぎ落とされた造形。

「描いているのは自分ではない、描かせられているだけ」というテキスト。

 

今の時代、特に表層的な技巧や分かりやすさばかりが作品に求められる日本において、

例えば若い作家がこういう作品を作り続けることは至難であると思います。

ずっとヨーロッパで制作されていて、日本のアートシーンと距離があったのが

彼女にとっては結果的に良かったのかもしれません。

 

 

 

六本木クロッシング2019@森美術館

www.mori.art.museum

 

展覧会もまた、人との出会いや旅の印象と同様に、一期一会のものであると思います。

 

複数の展覧会を観る順番や会場内の廻り方

(展示順に一点一点観るか・自由に動き回ってランダムに観るかの違い)

或いは自分の体調・疲れ具合など。

 

イケムラレイコの展覧会で自分が深く感応したせいか、

脳みそがどうにも切り替わらず、いかにも今の時代然とした、

殺伐とした作品群に入っていけませんでした。

テーマやコンセプトの強さばかりが悪目立ちし、

どうしても作品自体の深みが感じられない。

 

半分は作品の、もう半分はその時の自分のせい、と勝手に思っています。

 

f:id:ishiiyoshito:20190302112506j:plain

f:id:ishiiyoshito:20190302112540j:plain

f:id:ishiiyoshito:20190302112609j:plain

 

ほとんど唯一反応できたのが、違法廃棄現場を夜な夜な巡回し、

そこにある廃棄物を即興的に組み合わせて作った作品を撮影した写真作品です。

なんとなく、表現することの根源に触れている作品であるように思います。

誰の作品だったか。

 

イケムラ展のせっかくの後味が。勿体ないことをしました。

貧乏根性であれもこれもと欲張って観る必要は、もうないのかもしれない。

 

 

新・北斎展@森アートセンターギャラリー 

hokusai2019.jp

f:id:ishiiyoshito:20190302113231j:plain

 

北斎の展覧会を観るのももう4回目ぐらい。

今は両国にすみだ北斎美術館もありますし、実際何度観たところで

出てくる作品は毎度おなじみ(しかも浮世絵という「複製芸術」)なのですが、

この人手はどうしたことか。

 

ある意味では「教科書で観たことのある作品を観る経験」を

最も得やすい作家なのかもしれません。それだけ多く、観る機会がある。

 

疲れたところでアートコンプレックスセンターへ、搬入作業。

その前に、1Fに入ったスリランカ料理「バンダラ ランカ」にて昼食。

www.bandaralanka.jp

f:id:ishiiyoshito:20190302114134j:plain

f:id:ishiiyoshito:20190302114239j:plain

f:id:ishiiyoshito:20190302114314j:plain

f:id:ishiiyoshito:20190302114351j:plain

 

ランチにしては正直値が張りますが、スリランカの美味しいカレーが食べ放題です。

それだけの価値があると思います。後味が魚風味。

 

f:id:ishiiyoshito:20190302114532j:plain

f:id:ishiiyoshito:20190302150758j:plain



どうにか搬入を終えて帰宅した次第。

円形作品は水平を計る必要がない為設置しやすい。